法政大学野球部のマネージャー・上中咲葵(うえなか さき)さん。
東京六大学野球のマネージャーはリーグ戦で場内アナウンスを担当しますが、
その時の声質がZOZOマリンで33年間場内放送を務めた谷保恵美さんに
そっくりで話題になっていました。
また上中咲葵さんのお父さんも野球界では有名な人物とのこと。
そこで今回は上中咲葵さんの家族などについて調べてみました。
是非最後までご覧ください!
上中咲葵のプロフィールは?
「谷保さんそっくりの声」で話題の法大・上中咲葵マネジャーが地方局のアナウンサー職に内定(日刊スポーツ)-Yahoo!ニュース https://t.co/HP45ShqSac
— のもとけ (@gnomotoke) November 11, 2024
“谷保さんそっくり”で話題になった法大・上中咲葵マネジャー(4年=西武学園文理)が地方局のアナウンサー職に内定したことが11日、分かった。 pic.twitter.com/sW0y0YCUfq
以下が上中咲葵さんのプロフィールになります!
名前:上中 咲葵(うえなか さき)
生年月日:2002年5月9日
出身:埼玉県入間市
趣味:散歩と習字
好きな言葉:「奇跡を待つより捨て身の努力」
経歴:西武学園文理高等学校→法政大学
上中咲葵(うえなか さき)さんは、2002年5月9日生まれ、埼玉県入間市出身の21歳です。
法政大学文学部に在籍し、同大学野球部のマネージャーを務めています。
小学・中学時代は吹奏楽部でクラリネットを担当し、高校は西武文理高校で野球部のマネージャーとして
活動しました。高校時代には、西武ドーム(現ベルーナドーム)での場内アナウンスを経験し、
これがアナウンスに興味を持つきっかけとなりました。
趣味は散歩と習字で、好きな言葉は「奇跡を待つより捨て身の努力」。
将来の夢は「野球に携わる仕事」と語っています
上中咲葵の家族構成は?
美声が話題の法大・上中咲葵マネジャーは地方局アナに 内定の背景に元西武外野手の父・吉成さんの奮闘「恩返しできました」(スポーツ報知) https://t.co/M5OBbkDdGi
— どら (@gomiriiman) December 30, 2024
上中咲葵さんの家族構成についての真相は
どうなのでしょうか?
父、母
上中さんの家族構成は
父、母、上中さん
の3人家族であると考えられます
※こちらについてははっきりとした情報ではなく、
情報提供いただけると幸いです。
野球を好きになるきっかけとして、兄弟や姉妹が野球をやっていたという人も多いと思います。
もしかすると、兄弟や姉妹がいるのかもしれないですね。
上中咲葵の父は元プロ野球選手で有名人!
上中咲葵さんのお父さんは
元プロ野球選手の上中吉成さんです!
上中 吉成(うえなか よしなり、1969年7月16日-)は大阪府泉南市出身の元プロ野球選手。
— 和田カ (@GINMUTSU) March 11, 2020
身長 177cm
体重 74kg
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1987年 D6位
初出場 1995年10月4日
最終出場 1995年10月6日
現在は若獅子寮(西武の若手選手寮)の副寮長、二軍育成などを担当をしている。 pic.twitter.com/MrbQUBfoNQ
プロフィール!
上中選手のプロフィールは以下のとおりとなります!
名前:上中 吉成(うえなか よしなり)
生年月日:1969年7月16日-)
出身:大阪府泉南市出身
身長: 177cm
体重:74kg
投球・打席:右投右打
ポジション:外野手
プロ入り:1987年 D6位
西武ライオンズでプレー!
上中さんの現役時代のポジションは外野手でした。
大阪の泉州高校を卒業後、1987年のドラフト会議で
西武ライオンズから6位指名を受け入団しています。
プロでは通算8年間プレーし、1995年に引退。
現在は西武ライオンズの選手寮の寮長!?
引退後は一体何をされているのでしょうか?
なんと現在は西武ライオンズの若獅子寮の副寮長をされています。
上中咲葵さんはお父さんの影響からファンクラブに入っていたほどの西武ファンです。
野球選手を終えると解説のお仕事、コーチ、学生の指導に回る方が多い中で
プロ野球選手寮の指導に寮長として携わっているということは、
本当にプロ野球や西部ライオンズに対する思い入れが強いのでしょう。
これからも西部ライオンズを温かく見守っていてほしいですね♪
上中咲葵の母は一般人
上中さんのお母さんは一般の方のようで、詳しいことはわかっていません。
上中さんが小学5年生の時に行われた、西武ドームで行われた西武・日本ハム戦。
西武ファンクラブのジュニア会員を対象に、
試合中のアナウンス体験ができるという企画があり、
お母さんが勝手に応募されたとのこと。
当時、上中さんは嫌だったそうですが、
そのことがきっかけでアナウンスに興味を持つようになったそうです。
「母が勝手に応募したんですよ。私は人見知りで小心者だったので、『そんなのできない!』と
思ったんですが、当たったからにはやるしかないって。キャンセルもできないので…」
パ・リーグCOMより引用
上中咲葵さんは幼い頃、人見知りだったようですが、それを変えたい!と
お母さんが心配したかもしれませんね。