今回は、「つなぎ融資の女王」と言われた山辺節子を取り上げます。
2023年10月31日放送の「ザ!世界仰天ニュース」で架空の投資話で巨額の詐欺事件を首謀した山辺節子の事件が特集されましたが、一体、どんな人物なのでしょうか?
プロフィール
名前:山辺 節子(やまのべ せつこ)
生年月日:1955年3月3日
年齢:63歳
出身:熊本県
生まれ:1955年3月3日生まれ
・父親はタクシー運転手で、母親は専業主婦
・一人っ子で兄弟(姉妹)はいない
・父親からは溺愛され、母親とは反りが合わなかった
・幼い頃から男心を掌握しており、周囲の男性からは可愛いともてはやされた
・その一方で、同姓からは嫌われており、女友達は皆無だった
・高校時代には男遊びに夢中になり、次々と彼氏を乗り換えていた
・高校時代に駆け落ちも経験
・父親の勧めもあり、19歳の時に、自動車関連の会社に勤務する男性と結婚(婿養子)
・父親は49歳の若さで他界
・父親の他界後、娘と息子が生まれる
・最初の夫とは自身の浮気が原因で離婚
・既婚者(子供あり)と不倫の末に略奪婚(2度目の結婚)
・2人目の夫とは自身の不倫が原因で離婚
・学習塾を経営し、国語の講師を務める
・33歳の時に会員制の高級クラブを経営し、クラブのママになる
・知人の女社長に騙され、多額の借金を負う
・当時50代だった山辺にパトロンはおらず、自己破産することに
・知人女性に騙されたことで、山辺は詐欺に手を染めていく
女から嫌われる男たらしだった
学生時代から男性の扱いに長けており、男性を手玉に取るテクニックについて自身でも語っていました。手記には“先生から叱られると、じいっと相手の目を見てまばたきせず、涙をつうっと一粒流す。ほとんどの先生は許してくれる。男性先生だけに通用する技だ。”と記されています。
こんな事ばかり考え行動していたからか、女性には嫌われ目の敵にされる事も多かったそうです。父親からは溺愛されていたものの、母親からは嫌われていたと自覚するほどですから、よっぽどですよね。子供ながらにして女を感じさせるとは恐ろしい才能です。
山辺節子容疑者は懲役7年の判決を受けていた
ちなみに、昔の写真は公開されていました。
若い頃(中学時代)の画像がこちらです。
山辺節子の若い頃の画像。普通よりは可愛いけど・・男漁りがひどかった pic.twitter.com/XEdUJxlXlj
— クロスケ (@kuro_we) May 31, 2018
報道では山辺節子は男性の扱いに長けていたとされています
先生から叱られると、じいっと相手の目だけをを見て瞬き一つせず、涙をつうっと一粒流す。ほとんどの先生は許してくれる。男性の先生だけに通用する技だ。反比例するように女子や女性からはどんどん嫌われていく。両親ですら、父は私を異常にかわいがりいつも一緒だった。
『週刊新潮』4月26日号より
山辺節子は自身の容姿は優れていないと思っていたようですが、その代わり表情やじぐさ、雰囲気等を徹底的に分析されていたようです。
山辺節子は生涯男性からもててきたのでした。
山辺節子は懲役7年の判決を受けていましたが、裁判中の似顔絵では、化粧はせずげっそりとした表情で白髪交じりの長い髪を横に束ね、三つ編みにしている山辺節子容疑者が描かれています。
逮捕前の自称38歳の若作りをしていた頃の面影は消えてしまっています。
裁判中では涙を流す場面もありましたが、反省の涙かどうかは本人しか分かりません。
山辺節子の若作りは生い立ちが関係していた?
タイで逮捕された当時の服装は肩を出し、ショートパンツにカツラを被る若作りファッションでした。後ろ姿を見ると20代にしか見えない風貌に驚かされた人が続出しています。
山辺節子の若さへの執着というのは生い立ちからきているのかもしれませんが、調査していくと様々なエピソードを知る事が出来ました。
山辺節子は結婚して子供がいた?
子供も授かり幸せを手に入れた様に思えるのですが、男癖は治っておらず、自分本位で結婚と離婚を繰り返されています。
子供達の事を考えて行動する事はできなかったのでしょうか。母親よりも女として過ごしてきた事が、異常なまでの若作りの姿が物語っていますね。
2度結婚して子供も授かっていた
最初の結婚で一男一女を授かり良い母親として家庭を切り盛りしていましたが、男癖の悪さで離婚。二度目の結婚は不倫関係になった後に結婚していますが、やはり男癖を直すことはできず新しい男ができて離婚しているので、根っからの男癖が悪い女性であるということが言えます。
山辺節子の子供はエリートだった
長男の年齢は40歳ぐらいになるそうです。地元の進学校を卒業したあと一橋大に進み、現在は外資系金融機関で役職がつくエリートになります。長女は航空会社の客室乗務員をやっていたとの情報がありました。
子供には何の罪もありませんので、母親の罪で仕事や環境に影響が無かった事を願うばかりです。
山辺節子が”つなぎ融資の女王”となった経緯
33歳で熊本市内でスナックと会員制クラブのママをしています。男性に人気があり注目される事が好きで一番でいたいと思う気持ちが強いタイプであり、売り上げも相当あったのでしょうか。付き合っていた男性が素朴美人な女性と浮気したことから、気をひくために歌人としてもデビューされています。
山辺節子は1992年に焼却炉の製造販売会社を設立し経営者になりましたが、2005年に倒産、自己破産しています。山辺節子が51歳の時です。
その後は架空の投資話で資金を調達していきます。元金完全保証で20%の配当をつけ10回に分けて戻すというもの。管理もずさんで、最終的には誰が幾ら出資したかを把握できていなかったそうです。
フィリピンのホストと愛人契約
2014年10月にフィリピンのホストクラブで30代のホストに一目ぼれをします。山辺節子容疑者はこのホストと愛人契約を結びます。
契約書の内容は高級外車と自宅を与え、毎月180万円を支払うこと、男性側には女性との交際を禁じる事でした。山辺節子容疑者は当時60歳と還暦を迎えていましたが、フィリピンに通い逢瀬重ねています。