「冬の稲妻」や「昴」など数々のヒット曲で知られ長年、歌謡界をけん引してきたシンガーソングライターの谷村新司さんが今月8日、亡くなりました。74歳でした。
2024年にもう一度アリスとして舞台に立つことを目標としていただけに非常に残念です。
シンガーソングライターとして「昴」等の名曲を生み出し、「いい日旅立ち」を山口百恵さんに提供するなど長年、日本の歌謡界を大家として牽引されてきた方でした。
中国・上海音楽学院の教授でもあり、中国で人気の日本人歌手として知られていて、2017年には上海で日中国交正常化45年を記念したコンサートを開いています。
谷村さんは、ことし3月に腸炎のため手術を受け、予定されていたアリスの全国ツアーを延期して、療養していましたが、10月8日、亡くなられています。
そんな谷村さんですが、世間、特に有名人からの追悼の声が非常に多く、「人望が厚すぎ」と話題になっています。
今回は有名人や世間からの反応をまとめてみましたので、最後まで是非ご覧ください。
3人組バンド・アリスのメンバーである堀内孝雄(73)と矢沢透(74)からの 追悼のコメントは?
日刊スポーツ新聞社より
堀内孝雄
「チンペイさん 突然の別れに驚きを隠せません。来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です」と悲痛な胸の内を明かし、「学生時代に、『プロにならないかと?一緒にアリスをやろう』と、誘ってくれたとき、心の底から嬉しかった」
「チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした」
「また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね。もうちょっと待っていてね、キンちゃんと、もう少しだけ頑張るね。心から、ありがとう。安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます」と追悼。 yahoo newsより
矢沢透
「時にはいがみ合い、時には抱き合い 幾多の苦難も喜びも共有し、無我夢中で駆け抜けた そして気が付けば51年という長きに渡って谷村と関わるとは…あの日からは想像もしませんでした」
「若さの灰汁も抜け『これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうね』と新しいアリスの始まりに胸躍らせていた矢先のことでした」とし、「谷村なら大丈夫、谷村ならきっと戻ってくる、根拠のない確信めいたものを感じておりました。でも谷村は戻ってきませんでした!もういないんです。悲しいというより悔しいんです」
「谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい。今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました」
「時にはいがみ合い、 時には抱き合い幾多の苦難も喜びも共有し、無我夢中で駆け抜けた。そして気が付けば51年という長きに渡って谷村と関わるとは…あの日からは想像もしませんでした」
「若さの灰汁も抜け 『これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうね』と新しいアリスの始まりに胸躍らせていた矢先のことでした。谷村なら大丈夫、 谷村ならきっと戻ってくる、根拠のない確信めいたものを感じておりました。 でも谷村は戻ってきませんでした!もういないんです。 悲しいというより悔しいんです。谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。 思い出せば必ず胸にやってきます、 どうか谷村を忘れないで下さい。 今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました」 yahoo newsより
泉 房穂(いずみ ふさほ)@izumi_akashi 弁護士元明石市長
毎日ニュースより
「谷村新司さん」が亡くなった。ショックだ。高校時代、ヤンタン(MBSラジオ「ヤングタウン」)の「チンペイさん」が好きだった。「冬の稲妻」のB面の「街路樹は知っていた」が大好きで、頑張って弾き語りの練習したけど、上手くは歌えなかった。なんか、ホント悲しい・・・
公益財団法人 日本郵趣協会 @kitteclub
·「いい日旅立ち」や「昴」など数々のヒット曲で知られた、シンガーソングライター・谷村新司さんが10月8日に74歳で逝去されました。谷村新司さん作詞・作曲「いい日旅立ち」の切手(1997年発行)を紹介するとともに、安らかな眠りにつかれますようお祈りいたします。
水島裕@goofyalice2013
※ワンピース・河松とゼウス・プロメテウス・ナポレオンの3役。 谷村新司さんが旅立たれました。享年74。悲しいです。早すぎます。一度、さだまさしさんと3人で夜更けまで話し込んだ事がありました。
中国メディアも谷村さんの死去を速報で伝える
日中国の交流に取り組み、中国メディアも谷村さんの死去を速報で伝えました。
谷村さんは国交正常化記念コンサートを行ったり2010年に上海万博の開会式に参加したり、上海の大学で教授をつとめて中国の音楽の発展にも貢献しました。
上海で道行く人に話を聞くと50代の男性は「彼の作品がずっと好きだった。突然の知らせに驚いている」と話していたほか、女性は「多くの歌手がカバー曲を歌っていました。メロディがとてもすばらしく知らせを聞いて悲しいです」と話していました。
中国のSNSでは、谷村さん関連の検索がランキングで上位に入りしています。
SNS上には「上海万博の開会式で彼の音楽を聞いてファンになった。当時は、私も小さかったが、印象深く覚えている」や「今後、中国と日本の音楽会で、彼のように世代や時代に影響を与える人は誰も出てこないだろう。とても悲しい」など書き込みが見られています。
松野官房長官
産経ニュースより
「長年にわたり、シンガーソングライターとしてわが国だけでなく広くアジアに受け入れられる作品を数多くつくり出し、音楽文化の発展に大きく貢献された。また『社会を明るくする運動』の旗振り役として協力を頂き、中国との交流にも尽力されるなど、多大なる社会貢献活動をされた。これまでの功績に改めて敬意を表するとともに、哀悼の意を表したい」yahoo news
中国 毛寧報道官
「谷村さんが亡くなられたことに哀悼の意を表します」と述べました。
つんく
日刊スポーツ新聞社より
「先ほどネットニュースで谷村新司さんの訃報を知りました。非常に残念で寂しくて仕方がありません」と現在の心境を告白。「思えば小学生の頃からの大ファンでした。初めて買ったアルバムは『アリス』です」
「僕が大阪より上京し、プロデビューした後も、時には番組に一緒に出る時、時にはプライベートでの食事会でも、大阪弁のかっこいい声で、常に楽しいお話をたくさん聞かせてくれる同郷の先輩でもありました。思い出は募るばかりで、きりがありません。ありがとうございました。心よりお悔やみを申し上げます」 NHK newsより
愛知県 神田元知事
2005年の「愛・地球博」のイベントなどを通じて、谷村さんと交流があった当時の愛知県知事、神田真秋さんは「楽曲や歌声はわれわれの青春そのものです。さみしい気持ちでいっぱいです」と話されています
谷村さんは、2005年「愛・地球博」関連の行事で、愛知県が開いた音楽イベントの総合プロデューサーを務められています。
「最近はずっと公演を休んでおられたので、よほど悪いのかと思っていました。谷村さんとはほぼ同世代で、その楽曲や歌声はわれわれの青春そのものです。今後お会いすることがなくなり、さみしい気持ちでいっぱいです」
「ショックでさみしいですが、この地域のたくさんのファン、思い出を持つ人たちも同じ気持ちだと思います。あのようなシンガーはそうは出てこないと思います」NHK newsより
三宅裕司
デイリーニュースより
「谷村さんとは半年ぐらいですが、バラエティーの司会を一緒にやって、すごい先輩だけどやりやすくて人当たりが良い方」と述懐。その上で「すごいなと思ったのは、谷村さんが『三宅さん、邦楽をやっている方は身内にはいないですか』と言われて、『ウチの母は日本舞踊をやっている』と言ったら、谷村さんが『あ、そうでしょう』と。においとか雰囲気でわかると言われて。感覚のすごさをその一言で感じました」 yahoo newsより
関西の方
「やっぱり三都物語よ。関西人なら」「関西人ならわかる個人的には“三都物語”が好きだった」「三都物語とか北陸ロマンとか…好きな曲を挙げればキリがない」twitter(X)より
母校の桃山学院大 中野学長
桃山学院大学の中野瑞彦学長は「谷村さんの歌詞には、自分に素直に生きていこうという本学の精神が反映されていると思う。長い人生を考える上で貴重なメッセージを残してくれていて、もし可能であればもう一度、大学で学生たちのために歌を聴かせてもらいたかった。谷村さんが残してくれたスピリットを学生たちにこれからも伝えていきたい」と話した。 NHK newsより
イルカ
谷村さんと公私ともに親交が深かったシンガーソングライターのイルカさんは、谷村さんの音楽について「『音楽でつながろう』という強い思いがあったと思います。『昴』の歌詞でも歴史や文学など谷村さんが持つインテリジェンスが詰まっていました。普遍的なものを歌っているからこそ谷村さんの歌には国境を越える力があり、幅広い国の人たちから愛されたのだと思います」と話されています。
「いつでもおだやかで、そして学者のように博学な人でいろいろな話を聞かせてくれました。また夫を早く亡くした私によく『大丈夫か』と声をかけてくれるお兄ちゃんのような人でした。亡くなったことは本当に残念です」と振り返っていました。そして、「体調が悪いとお聞きしていたので、手紙を書こうか迷っていましたが、必ず復帰すると信じていたので結局、出さずにいました。これからも谷村さんの歌を歌っていきたいと思います」NHK newsより
研ナオコ
日刊スポーツより
「74歳まだまだ歌いたかったと思います」谷村新司さんの訃報について、谷村さんから楽曲の提供を受けたことがある研ナオコさんはNHKの取材に対し、コメントを寄せました。その中では、「本当に驚きです。信じられません。1992年に『悲しい女』と言う曲を作っていただきました。4年前にアリスの復活コンサートを武道館に観に行き、打ち上げまで呼んでいただき、デビューしたころの楽しいお話しさせていただきました。それが最後になってしまいました。74歳まだまだ歌いたかったと思います。お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします」NHK newsより
さだまさし
instgramより
「いやいや、俺は信じない。何度か電話してもでないから、どっか旅にでも出たに決まってる。出会ったのは51年前。デビューしたてのアリスが長崎にキャンペーンでやって来た。以来、兄貴の如く仲良くしてもらった。甲子園や後楽園で野球の試合もした。静岡では一緒に飲み歩いた。長崎でも、武道館でも、あっちこっちでも一緒に歌った。最近ゆっくり会ってないけど、ホテルニューオータニ大阪のディナーショーは、いつも一日違いだったから、毎年必ず会えた。思い出したらキリがない。春に入院したとき慌てて電話したら『大丈夫、大したことないのよ』って言ってたじゃん。八月の終わりと九月の半ばに電話したけど、いつもなら必ず折り返してくれるのに返事がなかったけどね。一言も、なにも言わずにいなくなりましたって?いやいや、俺は信じない。うん。信じない」NHK newsより
加山雄三
サンスポより
「谷村君が亡くなったこと、先ほど知りました。ショックと悲しみで正直混乱しています。ちんぺいとは『サライ』をはじめたくさんの思い出があります。ヤンチャーズ楽しかったよな。たくさんの場所で一緒に歌ったよな!陶芸に誘ってくれた兄弟子でもあるし、いつもちんぺいには『加山さん勝負じゃないんだから!』って言われてたっけ。ほんとの兄弟のように慕ってくれて一緒にいる時は本当にいつも楽しかったよ。その兄想いの弟が先に逝ってしまった今、気持ちをまとめてくれと言われても、彼に伝えたいことはたくさんあって、言い切れないよ。一言だけ彼に伝えるなら、やっぱり『ありがとう』この感謝の言葉しか見当たりません。永遠の『サライ』を谷村くんと共に…」NHK newsより
まとめ
政治家では松野官房長官、歌手では加山雄三さんなどほんとうに芸能の世界だけではなく、政治からも愛されていた谷村さん。上海の大学で教授をつとめていたこともあり、中国の報道官やSNSからも追悼の声が沢山集まっている。